2020芸術祭へ
波の合成、というのをご存知だろうか。
波というのは物体とは違い、お互いにぶつかった時に跳ね返ったり壊れたりすることはせず、何事もなかったかのようにすり抜ける。しかし、そのすり抜けている最中だけ波と波が足し算され「別の形の波」が現れる。
波というのは音を始め、色や電波を司るものである。それゆえ、波と波が合成された時、今までになかった色や音・響きを作り出すことができる。
また自分の首を絞めた
基礎ゼミも終わり、授業の課題に追われ深夜の作業が増えてきた今日この頃。そんな既に死にそうな状況だが、面白い話に誘われた。
2020年のオンライン芸術祭に出品する映像作品の音楽を担当してくれないかという話だ。
参加すれば自分の首を絞め、寝れない生活を強いられることはわかっていたのだが、、好奇心には勝てない。参加するとワクワクしながら連絡してしまった。(あ~あ)
LINEグループができ、仮台本が送られ、歌詞が送られ、、忙しい生活の中、久々に自主的な創作への意欲が沸いてきた。
↑早速作曲に勤しんでいる。あれ和声課題は?うるさい。俺はこれをやるnda...
新たな出会い
コロナ禍の中、創作活動のために集まった5人。
監督・ゆっこ。キャスト・まや、たかみ、ふみな。作曲・たくみ。
直接話すのはそれぞれ初めてだったはずだが、自己紹介もなく今まで知り合いだったかのように話が進んでいく。不思議なことに自己紹介なんてしなくても、その人がどういう人なのか話しているうちにわかってくるものだ。というか、「個性」というものが溢れ出て留まることを知らないので、嫌でもわかる。それぞれ20年間色々な感動に触れ様々な経験をしてきた5人は、個性的でそれぞれの色を持っているように思えた。それに何と言っても話が合う。楽しい時間を過ごすことが出来た。
演技の練習と撮影をし、その後宣伝用の写真を撮影。今日は作曲の仕事がほぼ無いので、私は監督ゆっこのアシスタント(笑)として照明持ちを担当。
監督の指示で照明の角度や高さを変えるのだが、面白いことに少し変えるだけで写り方が変わる。写真の世界は全くの素人なのでどのような言葉を使ってこの感動を表せばいいのか分からないが、知らない世界の専門家が目の前で魔法を使っているように見えるのはきっとお互い様なのであろう。
その後、私も撮られた。恥ずかしかった()
↑宣伝用の写真を撮っているところ。素人なのでうわ~すげ~しか言ってなかった。
クリエイターが集まるとき・・・
学校も年齢も性別も、クリエイターの世界には関係がない。これは学生でもプロでも変わらないだろうと私は考えている。各々が磨いたセンスと技術を遺憾なく発揮し、私たちがみたい世界を創り上げる、ただそれだけのために時間と労力をかけるのだ。
この先、どんなものができるのか私たちにすら全く分からない。
しかし、個性豊かな異なる波を持つ5人が集まったことで、果たしてどのように波が重なり合いどんな色・響きを作るのか楽しみだ。
2020/10/3
基礎ゼミを終えて。
先日、9月2日に国立音楽大学講堂大ホールにて、2020年度の基礎ゼミ「平部先生のお話」があり、私たちTravelersは昨年度の芸術祭でも公演した〈鏡の森〉をリメイクし発表した。
もともとは年度初めに行われる基礎ゼミであるが、今年は新型コロナウイルスの影響で延期となり後期の頭である9月に行われる運びとなった。
基礎ゼミに出演するにあたり、たくさんの方々にお世話になった。
野中先生、平部先生、教授の先生方、教務課の方々、メディアセンターの方々、コンピューター音楽専修の方々、、数えきれないほどの方が私たちのために動いてくださった。皆様の助けがなければ実現し得なかったでしょう。本当にありがとうございます。
さて、基礎ゼミ公演後いつものように気持ちを文字にしようと思ったのだが、公演が終わってからというもの、ずっと色んな思いがぐるぐると頭のを回っている。
後悔。反省。感謝。尊敬。
どう言葉にすればいいのかわからない。
下書きだけが増えるばかりだった。
だからこの記事では、一緒にひと夏を過ごし、苦楽を共にした仲間たちへ文字を綴ろうと思う。
はじめに伝えたいこと。それはずっと後悔していることがあるということ。
7月の中旬ごろから活動を再開し、脚本を書き直していく作業があった。僕はその時コロナ情勢下で精神をかなりすり減らし、心が荒んでいた。でも、それを理由にみんながコツコツ頑張っている中、一人あまり努力しなかった。
もし、あの時自分が頑張っていたら。はじめから情熱を注げていたら。
終演後もやもやなしに100%納得いく結果になっていたのではないか。
そうでなくても、皆に心配をかけ頼り切ってしまったことに、深く深く反省している。
そして、任せろと言って雑務を始め、大変な作業をみんなが請け負ってくれて、とても嬉しかったもの事実だ。今までリーダー的立ち位置をすることが多かったが、手を差し伸べてくれたのは初めてだったかもしれない。ありがとう。
長い期間練習していく中で、自分の力量の無さに絶望し、悩んでいた時期があった。
何が良くて、何が悪いのか分からなくなり、まるで狭い部屋に押し込められたようで、窮屈だった。
Travelersは各分野で頑張っているひとばかりが集まっている。声楽、ミュージカル、作曲、3DCG、、、
そんな中、自分は何をこのチームに捧げられるのだろうか。それだけの技術と感性が僕の中にあるのか、とても考えさせられた。主観的であるから本当はどうなのか知らないが、僕から見てメンバーのみんなはそれぞれ魅力的で、本当に僕なんかと一緒にいて時間を使ってしまって良いのだろうかと、思い悩んだ。
いつかまた、信頼できる仲間と思い切り音楽したい。
これは僕の小学校を卒業する頃の夢であり、目標であり、そしてこれこそが音楽をしてきた理由だった。中学高校と追い求めてきたが、色んな波に揉まれる間にすっかりその感覚を忘れてしまったようだった。
この夏、特にキャストの4人(Travelers2人の他にお手伝いで2人来てもらっていた)はの頑張りを見ていて、血が騒ぐような気がして思い出した。
演出家のいない中、自分たちで振り付けを考え、練習し、反省する。そのサイクルの中で、振り付けがよくなければ厳しく自己批判し、今までの苦労を捨てて次の振りを考えるー
なんてストイックなんだ。
創作をする人ならばわかると思うが、普通、自分が絞り出して考えたことを捨てて、他のアイデアを探すということは本当にエネルギーを消費する大変なことだ。それでも、良くしよう、良くしようと作品のために時間と労力を費やす。
「好きなことだから、大丈夫!」
そんな言葉を言ったマヤの背中がどれだけ格好良かったか、言葉で表すことはできない。
これぞ「音楽家」。
本気でぶつかり、意見が割れることも1度や2度ではなかったが、それだけ情熱を注げる彼女たちには感激し、大いに尊敬した。自分も努力しなきゃと元気づけられた。
素晴らしい仲間に出会えたことに感謝したい。
あぁ、生きていてよかったなぁ。と、
この人たちとおんがくが出来て良かったなぁ。
と、そう思った。
決して僕だけでは実現しえなかった、この劇。
無茶ぶりに無茶ぶりを重ねたのに、直前までアイデアを練ってくれた颯。
頑張ったものを否定されることがどれだけしんどいか、僕も分かっているつもりなので、貴方の努力が途方もないものだったと、よく分かる。
それでも匙を投げずに一緒に創作に加わってくれたこと、心の底から感謝したい。ありがとう。
感謝の気持ちは伝えようとすればするほど、言葉が空回りする。
ああ、終わってしまった。
練習している時間。反省のビデオを見ながらあーだこーだ言っている時間。みんなでお昼ご飯を食べた時間。電話会議で思いっきりぶつかった時間。練習室で1人、キャストの2人がどう踊るのか想いを馳せながら曲を書いた時間。
その全てが幸せに感じた。
こんなに幸せで良いのだろうかと、自分のような価値の薄い人間が幸せになってしまってもいいのだろうか。
でもそれと同時に、もし10年、20年先に仕事としてこういうことができたらいいなと思う。
そして我儘を言っていいなら、在学中にもう一度こういう最高の時間を過ごしたいと思った。
何というか、初めて自分の中でこれが自分の幸せで、これが私の夢なんだ。というものを掴めた気がする。
それぞれ目指すものがあり、向いている方向も歩き方も全く違う人間たちが、偶然、何億分の1という確率で、歩んでいる道の交差点で出会った。その奇跡を掴み取りこうして形にできたこと、音楽を通して時間を共有できたこと、心の底から嬉しく思う。そして、こんな風に想いを実現できる環境を作ってくださった方々に改めてお礼を言いたい。
LINEのTravelersのグループに、未だにアナウンスされている最後の一週間の予定を見て思う。
この気持ちが永遠だったらいいのに。
動画:引地颯
Travelers「鏡の森」Teaser
— ソウ ヒキチ (@_____anomie) 2020年9月4日
Music : Oomiee - Dimples (Epidemic Sounds)
Check it out! pic.twitter.com/1Pz8nPe4sK
所感-生きるのが苦しく感じる。
コロナの嵐に翻弄され、気づけばもう7月も終わり。本来ならば、あついはずの夏がやってくる季節だ。
演奏会にも行けず、十分に学業に励むこともままらなくなって久しいが、そんな毎日が日常となり知らず知らずのうちに自分にも少しずつ変化が起こっているようだ。
その変化というものは恐らくこの環境に適応しようとした結果なのだろうが、音楽をしていこうと決めた自分にとっては苦しいものである。
自分が以前と変わったなと思う部分は、
・心の底から笑うことがなくなった。
・楽しむことが出来なくなった。
・音楽や文学に触れた時、何も感じることが出来ない。
・何もする気になれない。
もともと私は感情表現は苦手で、一歩引いたところにいる癖があったのだが、より悪化したような感覚があり、非常に生きづらさを感じる。
昨年は芸術祭で入学時から夢見ていた舞台作品を創るという大きな目標があり、この時期は空回りするほどに熱く躍起になっていた。
そんなこともあり焦りと暗い気持ちが入り混じって、まるで心に穴が開いているように痛い。
友達と会って話すことが少ないこともあり、画面越しで見る友達はこんな状況でも精一杯頑張っているように見える。
音楽大学の学生でいられる期間の8分の1をこのような言ってしまえば「怠惰」な心持ちで過ごしてしまって良いのか?という疑問もある。
基礎ゼミに向けてTravelersの練習も始まっているが、やる気も練習意欲も絞り出せず足を引っ張ってばかりである。
あまりにも下手くそな演奏しかできず、演者の技量に大して演奏が不釣り合いすぎると日々感じている。練習しろよ自分
どうすればいいのだろうか。
何か解決できる手立てさえ見つかればいいのだが。
これを書いている今日も課題は手で数えられない程には溜まっている。
そして、こうして文字を書くことによってサボる理由を作っている自分に心底絶望している。
本当は笑ったり泣いたり、苦しみながらも楽しんで音楽に没頭するあつい夏を過ごしたい。
音楽劇の作り方⑥ ~振り付けと演出~
ブログ8日目。久しぶりに月刊エレクトーンを購入した。エレクトーン作品コンテスト2019に拙作が入選したので、そのコメントが掲載されていたためだ。まさか自分が月えれに載ることになるとは10年前はおろか数年前ですら想像できないだろう。昨年色々頑張ってよかったと思っている。
さて本日は振り付けと演出について触れていこうと思う。
振付け・演出についての計画
前回までで音楽計画について解説をしたが、その後振り付けや演出については全体にはあまり共有されなかったものの、演技チームではざっくりとした計画(というよりはイメージ)が作られたようだ。
演技について私は完成したものを見て感想を言うくらいしかできなかったので、ここから先はあくまでも憶測になるということをご承知願いたい。
私から見て振り付けと演出については、大きく分けて2つの要素があったように感じた。
曲に合わせて体を動かして表現をする「踊り」と、「寝る」「スマホを見る」「花を渡す」といった動作を主とする「動き」の2つだ。
この2つは身体を使い何かを表現するという点では同じものだが、ストーリー上である程度決められる「動き」に対し、「踊り」というものは曲のイメージや要素に合わせて作り最終的に全体を通した時に意味を成すようにするため、直接的にストーリーに準拠しないという点において差異が存在する。よって両者の作り方にはそれぞれ違いが見て取れた。
作曲チームの誤解
これは私のリーダーとしての反省でもあるのだが、演技については劇の制作も進んだ本番直前になってから作り込みが始まった。これについて作曲チームの私と城谷さんは想定しておらず、(というのも作曲を生業とするもの期限オーバーは死を意味するため、締め切りに対して余裕をもって完成させなければ心配になってしまうのである。)中々肝を冷やしたものであった。
また曲が決まってから曲を書こうと思っていた部分も少なくなく、スケジュールを組み直すということになってしまった。
この問題に対しては、事前に情報共有ができていればよかったし、各々の理解が十分でなかったと言えるだろう。
制作と音楽合わせ
演技の制作は後期に入り9月ごろから始まった。
部分部分で制作が始まり、特にM03~04・M10~12の踊りの部分から始まったようだ。
実際に音楽の録音に合わせて踊った録画をLINEを使って作曲チームと共有し、意見を交換し完成に向けていった。また、ある程度制作が進むとエレクトーンと実際に合わせ、私が合わせる部分やブレスでタイミングを合わせる部分など細かく決めていった。
↑芸祭の公演で実際に使った譜面。赤い円で囲った部分は練習の時にメモをしたもの。どの部分を動きと合わせるか少しづつ作りこんでいった。
エレクトーンならではだが、踊りの様々な動きのタイミングを演奏者の私と合わせ、「踊りと演奏のアンサンブル」を作り上げることが出来た。
動きに関しては台本上で大体決まっていたため、部分部分で通しながらセリフのタイミングなどと同時に、立ち位置や動作のタイミングを決めていった。
これらの部分は、はじめに遊び半分で流してイメージを掴んでいき、全体像が見えてきた所で一挙に完成に持っていた。正しい作り方などは存在しないが、メンバー全員が全体像を掴むために、「なんとなく」通してみる、「なんとなく」演技をしてみる、といったことが完成に繋がったと私は思う。
絶え間ない探求
演技については、本番の前日まで試行錯誤が繰り返され、何度も何度も変更が加えられた。やればやるほどイメージが固まっていき、そうすると必然的にベストな表現が見つかっていくのだ。私はこれは作曲においても演奏においても経験しており、音楽をする上でとても大切な事だと思っている。なんども刷り直しを行い最善の表現に近づけていくのだ。はじめから100%の完成はない。
これは私の正直な想いなのだが、複数人で1つのものを作り上げる時、この刷り直しの工程は1番苦労し、しかし最も楽しく充実した時間になると思う。
あーだこーだ言いながら、より良いものへと磨いていく。何度も何度も手を伸ばし、いつか掴めるように少しづつ高く飛んでみる。この時間こそ私が音楽をやっていて最も幸せを感じる時間だ。10年前からずっと、音楽がやめられなくなってしまった原因なのだ。
もし、このブログを見て挑戦をしてみようと思う人がいるのなら、この時間こそ最高だからここまで頑張ってほしいと思うし、もし共感してくださる方がいるのなら、是非じっくり話をしたいと思う。
まとめ
少し熱くなってしまったが、演技を創作するにあたり、
- しっかり作る部分と台本を見ながら流れで決めていく部分に分け制作していくことが大切であること。
- 最初から完成形は作れず、案外最初は「なんとなく」通してみることがイメージを掴むベターな方法であること。
- そして、何度も刷り直しをして少しづつ完成に近づけていく方法がクオリティを追及する最善の方法であること。
これらの事を自戒も込めて、まとめとしてお伝えしたい。
今回はここまで。
それではまた。
音楽劇の作り方⑤ ~音楽計画と音楽制作 その2~
ブログ7日目。土日はサボり...もとい休息日にした。
世の中のブロガーやYoutuberは定期更新していて凄いなぁと感心する。毎日3000字程度なら余裕だろうと思っていたが、昔の資料を引っ張り出してきてまとめ文字にしていく作業は思いの他大変だった。
さて、今日は前回の続きの音楽計画と作曲についてまとめる。
<第2部 シーン2>
音楽計画
M08はセリフシーンで、セリフのあと映像が入り主人公が感動する。。。という筋書きだった。
画像にも「主人公・泉の精の会話で暗め明るめの和声を入れ替える。会話のターンは音楽に合わせる。」とある通り、そこで作曲チームは出来事とセリフを考慮しながら音楽を作ることにした。
当時の段階ではまだセリフは決まっていなかったため、筋書から恐らくこのようなことを言うだろうという予想を立て、独自のプロットを書き、それを元に作曲できるようにした。
↑作曲チーム2人で書き上げた独自プロット。演技チームの2人もこれを元にセリフを書いた。
M09は花が一面に咲くシーンを想定していた。しかしM08の中で行われてしまったため、M09は欠番となった。
M10は主人公が歌うMarchのような前向きな曲。
M11はM10とM12を繋ぎ、かつセリフが入ることが決まっていたのでBGMのような背景を担当させることが計画された。
<第2部シーン2 作曲>
M08「刻の花」(作曲:城谷伶 佐藤匠)
この劇の創作を始め最初に城谷さんと私の共作で書いた曲だ。アタッカでM07から止まらずに始まる。
作曲の進め方については音楽計画の所と重複するので割愛する。「花」に関わる大切なセリフの所でM05「花」のモチーフの断片を使用し、また明暗のコントラストを特に意識して作曲している。途中から映像が入るためシーケンスを利用し同期させた。
反省点としては、後半「花」のメロディーを対位法的に展開するのだが、その部分がメロディーと和音という少ない要素のみで構成されてしまったことと、テンポが遅めだったことにより、振り付けを行う際に手持ち無沙汰になってしまうという点が挙げられる。映像が入ることにより緩和されたものの、映像を制作する際に映像と音楽をどのように絡ませるかが難しく、もし改善をするのであれば「動き」が浮き出るように修正するべきだろう。
M10「はじめの一歩」(作曲:佐藤匠)
主人公の気持ちが明るくなって、前向きに歌う一曲。歌詞はマヤから5月ごろ受け取って、ほんの2小節ほど手を入れたものの殆どそのままに書き上げた。練習室で話し合っていた時に歌詞の解説をマヤにして貰い、その場で曲のイメージを固め、もう次の日にはメロディーが決まってしまうほど決定的な歌詞であった。
当時私はマヤに対して「とてもポジティブで明るい性格」と思っていたのもあり、「なんて前向きなんだ。これはマーチのようにするべきだ!」と確信し、6/8のマーチ風の楽曲に仕上げた。しかし今となっては、前向きではあるのだが、心に抱えているものがあるような、前を向きたいと力を振り絞っているような、想いの詰まった歌詞のように思える。
「はじめの一歩」
今日がどんな日でも 明日(あした)はすぐにやって来るから
振り返っても 後ろ向きでも
この時を噛みしめて、進み続けるのさ。
あの気持ちは・・・
悲しい?怖い?
前を向こう!
この気持ちは・・・
嬉しい?楽しい?
逃さずに捕まえて。
あの輝き忘れないで この輝き感じるの!
自分が大きくなって 世界がもっと近づいて
踏み出したこの一歩は さっきよりもずっと大きい
↑M10のリードシート。上手くメロディーが書けず歌詞を変えたりメロディーを再考したりしている。この時点ではEs durだが後にD durに変更する。
この曲で苦労したのはオーケストレーションだ。あまりジャカジャカさせると歌詞の良さが伝わらず、かといって音数を減らせば明るさが半減してしまう。絶妙なバランスが難しい。最初は弦楽でキレのいいアーティキレーションで4~5声のみのアンサンブル。次第に楽器を増やしていくという、よく言えばシンプルな、悪く言えばありがちな手法を取った。歌い手の音域や特徴もあり結果的にはベストマッチだったのではないかと思う。(ここだけの話、新海誠監督の映画「天気の子」を見に行った直後に編曲をしたため、とても影響を受けている。9thの使い方やオーケストレーションはかなり参考にした。)
芸祭の公演ではヒナのパートも追加した。このパートはヒナ自身が考えてくれた。このパートはVocalizeだったが、「ラ」で歌うか「タ」を使うかなどこちらもアーティキレーションには気を遣った。
↑芸祭での公演が終わってからマヤと二人で録音したもの。この曲は何度も心の支えになったと思う。小さな幸せを少しずつ拾うことを忘れてはいけない。
M11 (作曲:佐藤匠)
M10とM12の繋ぎの曲。M06と同じく、セリフを邪魔しないようにシンプルに。
反省点を挙げるとすれば、M10のE durからM12のC durに少ない尺でもっていかなければならず無理やりに繋いでしまったことだ。もっと勉強して綺麗な繋ぎを作れるようになりたいし、調性について最初から計画的に進めておくべきだったと思う。
<第2部 シーン3>
ここからは面白いくらい曲の内容が書かれていない。白紙じゃねーか。
辛うじてMナンバーだけ書かれているが。。。
正直に言うと、このシーンは中々思いつかず3か月も時間がかかってしまった。
理由は明白で、この通り内容がはっきりしていなかったためである。
この部分は特に音楽が全てを決める場所であったため、中々イメージが作れなかったのだ。
M12では主人公と泉の精が夢の中にある森を探検する明るいシーン。
M13は主人公の心が潤いで満たされ、それにより泉が復活するというシーン。
M14は泉の精のソロの歌で、次第に音が遠ざかり現実世界に戻っていくというシーンだ。
<第2部シーン3 作曲>
M12「森の奥へ」(作曲:城谷伶 佐藤匠)
主人公と泉の精が森の奥へ探検に行くというシーン。 先述した通り作曲は難航し、どのような曲にすべきなのか、演技チームのマヤとヒナに何度も相談し、深夜まで電話したこともあった。
テーマは子供時代に戻ったかのように、無邪気に好奇心に任せて歩みを進めていくというものだ。M10からの引継ぎで6/8拍子。主題はM07「夢」のモチーフ【C.D.G】を取って、ミクソリディア旋法を用いて作られた。この旋法のいいところはコロコロとした可愛い印象のメロディーになる所だろうか。(エレクトーン界隈の人ならわかると思うが、睦樹先生「コミカルトレイン」もこの旋法と取ることが出来る。)
主題の部分のオーケストレーションは敢えて、クラリネットに高音域を吹かせたり、フルートに低い音域を吹かせるなど、通常ではおかしい編曲にした。おどけた感じにしたかったからだ。またマリンバやストリングスのピチカートも加え、コロコロとした音色に仕上げた。
また、この曲の途中で泉の精が消え同時に主人公が「花」を見つけ、時が止まったようになるというシーンがある。ここのシーンについては演技チームからの要望で急きょ変更をすることになった。M05の前奏部分を引用し、和声も復調を使い突然神秘的な雰囲気を醸し出せるようにした、
M13「泉の復活」(作曲:佐藤匠)
ここは泉の精が神々しい光とともに再登場するシーンであり、ワクワク感やキラキラした音色感が欲しかった。そこでライヒなどのミニマルミュージックを参考にポリリズムを取り入れた。素材はM01からしばしば使われる長2度の揺れであり、ワクワク感を演出するためリディア旋法を何度か転調させまとめた。構成としては大きく2つに分けることができる。「リディアによるポリリズム」「複数声部によるカノン」の2つだ。最後はゲネラルパウゼにより頂点で無理やり終わらせられ、息を飲むような眩しさを表現した。
オルガンのように右手で2声部、左手で1声部、足鍵盤で2声部弾くことになってしまい、劇中の曲の中で最高難度を誇る。
M14「鏡の森」(作曲:城谷伶 佐藤匠)
劇中で唯一ひなが歌う曲。Vocalizeで歌われるが、ヒナの特徴でもある圧倒的な高音域と歌声の明るさ、声楽で培った響きの豊かさを活かし作曲した。(ヒナの音域は五線の外の上のCが出てしまう。)無調というほどではないが、調性で見れば不安定であり、作曲する際、城谷さんがピアノで和音を、私がメロディーを歌い、その場で即興的に作った。
歌い手との密接なアンサンブルが必要で、エレクトーンの特徴を生かした1曲だ。
<第3部>
第3部は主人公が夢から醒め、現実世界に戻ってきた所から始まる。
効果音SE-3は朝の鳥のさえずりで、朝の訪れを表現する。
計画上では色々書いてあるのだが、この部分を長々とやっても無駄ということで、第1部との対比を出すことを念頭に演出が作られた。
劇の最初からキーアイテムとして使われる「花」を主人公が見つけることになったため、M05の「花」のモチーフの断片を使うことになった。
また、「夢は醒めると忘れてしまう」ということで、儚く消えていってしまうようなイメージを共有した。
M16は不必要となり、廃案となった。
<第3部 作曲>
M15「花の記憶」(作曲:佐藤匠)
夢の世界から帰還し、おぼろげに夢の中での記憶が残っているような心の様子を描いた曲。ここでも例によってM05「花」のモチーフを引用し、異なる和声を付け変容した。オーケストレーションはシンセやパットも多用し、風にのって何もかも流れてしまうような切ないイメージに仕上げた。
全体を通して
初めての劇の音楽の作曲ということで分からないことだらけだったが、演出家や脚本家との密接なコミュニケーションがとても重要であるということを痛感した。必ず成功するやり方などは勿論存在せず、よく話し合い相談することで、少しずつイメージを固め共有し完成へと向かっていくことができるのだと思う。
また、後々色々な変更はあるものの、決まったことや共有したことは音楽計画表のように文字や表として書き表し、ビジュアル的にわかりやすくまとめることで、キーポイントとなることが見えやすくなるように感じた。
自分が納得していても他の制作メンバーが納得できなかったり、自分が満足いっていても変更があったりと、音楽を書く人間としては精神的に厳しい部分もあったが、お互い妥協せず、各々を理解しながら進めていけたことが、学生としてこの劇の創作に関わって最も学んだことの1つだと、私は思う。
(特に作曲面でマヤの提案に否定から入ってしまったのは、私が特に反省すべき点だったと思う...)
今日はここらで。
それでは。
音楽劇の作り方④ ~音楽計画と音楽制作~
ブログ6日目。
100日目に死ぬワニの100日目が今日だった。なかなか心にダメージのくるラストでやはりしんどかった。
ワニが生きた100日間で私は3曲新しく曲を書いた。もう少し頑張れればよかったけど。仕方ない。ワニは死んでしまった。
さて今日はいよいよ音楽計画と作曲に入っていく。
作業工程④⑤ 音楽計画~音楽制作/あらすじの仮決定・セリフ決め
前回の記事ではシナリオ作りについて書いたが、4月頃に出来上がったストーリを大まかな台本ーあらすじのようにまとめ、次の段階である音楽の計画へと移行した。
<音楽計画表>
これが実際に作成した音楽計画表だ。
1番左の枠がストーリーに沿った舞台上の動きや演出。真ん中は音楽と効果音の入れ方について書かれており、右の枠には音楽の内容を書き込んだ。
また縦が時間軸となっており、下に行くにつれて時間が流れていく。
音楽計画では出来上がったあらすじを第1部から第3部までに分け、更に第2部を1~3までのシーンに分け細分化し、各々のシーンごとにどのような音楽をつけるのか、無音なのか、効果音を付けるのかなど、音楽面の構成を決めた。
また同時に、曲のイメージや曲中に起こる出来事・動作・モチーフなど、内容にかかわる部分や、曲間同士をアタッカにするか終止させるかなどを計画した。
実際はストーリーも音楽の内容もこの通りにはならなっかったのだが、これを元に書き上げた音楽に伴い少しずつストーリーも完成されていったため、この作業は非常に有用だったと言えよう。
さてここから、実際にどのような書き込みをしたか細かく見ていこうと思う。また、曲ごとに曲を作るうえで意識したことや反省点など振り返ろうと思う。
↑私と城谷さんは昨年4月から7月にかけてピアノを囲んで共作していた。隣で作曲科が作曲しているのを見るだけで勉強になった。
<第1部>
音楽計画
1部は「セリフを使わず、音と動きのみで演じる」というシーン。大まかな主人公の動きと演出をヒントにして計画を立てた。
マヤの「スタジオに入った瞬間からもう世界観を感じれるようにしたい。」という言葉からSE-1という効果音を開場前から流しておくことに。
この効果は虫の音や秋の夜をイメージしたものを計画していた。
当時の計画では、主人公が登場してからM01で「つまらない日常」を表し、そしてM02を間奏曲とし夢の中に入っていく描写を行う。M02では映像と曲を同期させることもこの時決まった。M02は日常の風景と、いつもと違う風景の対比を作るということがキーポイントになった。
この部分は10月の段階まで演出に悩んでいたこともあり、当初の予定とは異なるものになった。
M01は前奏曲としてお客さんが「劇が始まった」と思えるものにした。そうすることによって、主人公が客席でスマホを鳴らすという非常識な行動を際立たせることが出来た。また、M01とM02はつながる予定だったのだが先述した理由により、完全に曲を分け、間に町の雑踏の効果音を流すことになった。
このシーンは演出がなかなか定まらなかったため、初期構想とは異なる形となった。しかしながら、この計画のおかげで曲を書くヒントになったとも言える。
<第1部 作曲>
SE-1
開場から開演までを想定していたため、20分弱と長い効果音になった。
演奏が始まったらPAでフェードアウトするという手法を取ることにし、また、夏っぽい夜の虫の音を想定していたため、リリリリ...という音に少し風に揺れる木々の音を混ぜたのだが、11月になり少し季節外れ感が出てしまった。
照明の木漏れ日の感じも合わさり、目標である「スタジオに入った瞬間から世界に入り込める」演出をできたのではないか。
M01 Prelude「予感」(作曲:佐藤匠)
先述した通り、書いた当時は主人公がつまらない日常を彷徨うな印象の曲を目指した。
しかしながら演出が決まっていくと必要ないと分かり、前奏曲としてお客さんの集中を引き出すためのものになった。
開演のアナウンスを使わないという演出が出来たのもこの曲のおかげで、弱音からそっと始まるこの曲が演奏されるとお客さんはすっと静まり、音大で公演したのもありお客さんが「音楽を聴くモード」になったように感じた。この曲のあとの「主人公がスマホを鳴らす演出」も非常に効果的に映え、マヤを鋭い視線で睨み付ける人もいたという。大成功だ。
曲については、明るくもなく暗くもない、少し不安になる和声付けと音の揺れをテーマに、「日常と、かすかに感じる何かの予感に揺れる主人公の心」を表した。
SE-7
音楽計画には存在しなかった効果音で、第1部の演出が決まってから町の雑踏の音が欲しいとなったため作成した。フェードイン・フェードアウトはあらかじめ付けていたためPAでの操作はON/OFFのみ。
途中に踏切と電車の音があり、電車の通る音にパンを振ったため、会場内のお客さんにはあたかも自分も踏切の前にいる感覚になっただろう。
M02 Intermezzo「森へ」(作曲:城谷伶 佐藤匠)
夢の世界へ入っていく導入の音楽。
大きく分けて3つのシーンがある。「意識が薄れて、夢の中に少しずつ引き込まれていく"揺れ"のシーン」「種から木々が育ち次第に現実の世界を侵食していくシーン」「木々が森になり、夢の世界が完成されるシーン」の3つだ。
前半を城谷さんが、後半を私が担当した。前半は完全系の和音や半音階による和声付けを行い、後半は移調の限られた旋法の第2旋法とリディア旋法を使い、それぞれ神秘的な雰囲気と光の調節を行った。特に後半はRavelの「ダフニスとクロエ」のオーケストレーションを参考にした。
なお映像と同期させる関係上、リズムとシーケンスを組み使用した。細かいテンポの揺れを作るためテンポ設定は1小節内で3~4回と細かく設定した。
音楽制作をはじめてかなり初期の頃に書いた曲であるがゆえ、あまりライトモチーフを使えなかったというのが反省点の1つのように思う。
<2部 シーン1>
ここから泉の精も登場し、動作が多くなってくる。また、途中からセリフもあり歌もあるため、構成自体はすぐに思いついた記憶がある。
2部に入ってからはじめの歌を歌うまでの間(M03~M04)、主人公と泉の精が踊るのだが、言葉を使わず体の動作だけで伝えるということで、作曲チームは3つのシーンに細分化し、それぞれ「踊りのシーン」「パントマイム(まるで話しているかのような音楽)シーン」「主人公が、泉の精から貰った花に魅了されて少し明るくなるシーン」とイメージ付けをした。
そこから作曲を始めたが、第1案は少し明るすぎるということで全て破棄し、シーンのストーリー自体は大きく変えず、主人公の不安が伝わるようにというコンセプトで第2案を書き完成に至る。
↑変更したあとのM05までの流れ。作っていた当時は変更はやめてくれよと思っていた。結果的にいいものが書けたけれど。
またM03~M04はM05「花」が先に完成していたことから、それにつながる形で書けるようにと構成された。(前回の記事で紹介した曲だ。)
M05「花」の歌が終わった後、この劇で最初のセリフが入ることもあり、この部分の音楽(M06)はセリフが確定してからセリフに沿って作られることが決まった。
↑この部分のセリフは、演技チームの2人に作ってもらったものを急いでメモり尺が合うように曲を作った。
M07はデュエットソングで、まだ歌詞が決まっていなかったことと、歌については私が担当であったため、計画段階では保留にしている。
この段階ではM07で1度終止させる予定であったが、これも結局覆りアタッカすることになった。予定は未定。
<第2部 シーン2 作曲>
SE-2
目を覚ましてから、夢の中の不気味な森の様子を表すために使われた。
ビニール袋をカシャカシャする音やビー玉を転がす音など幾つかサンプリングし、加工して木々のざわめきの音を作ったり、何かがコツコツと鳴る音などを制作した。
音の密度の調節が難しく、鳴らし過ぎても少なすぎても雰囲気がでないので試行錯誤を繰り返した。
演奏上の特徴として、エレクトーンの演奏(即興)とこのSEが被るというのが挙げられる。主人公の動きに合わせることを意識し、融通が利くように制作した。
M03 「目覚め」(作曲:佐藤匠)
完成版では、夢の世界の森に迷い込んだ主人公が起きる場面から、泉の精が登場するシーンまでがこの曲の部分だ。
特徴は即興要素が殆どを占めている点だ。動作と合わせたりお互いのキューになる音群を作っておき、その他は舞台上を見ながら動作に合わせて即興的に演奏するという体裁をとった。
作曲の仕方としては、まず軸となる音楽を作り楽譜にし、そこにどんな動作を入れるかを相談し演出を決め、その上で即興をしていくといった感じだった。あくまでも音楽先行で制作し、演出が決まりしだいそれに沿わせるイメージだ。
無調でフリーテンポ。
M04 「暗闇の踊り」(作曲:佐藤匠)
「何か見えないものに触られるような不安感」をお題に作った。拍子は7拍子で3+4と4+3の2種類を使った。また、移調の限られた旋法の第1番(全音音階)を使い、安定しないふわふわした感じを演出した。途中にはモチーフを伏線のように使い曲に意味を与えた。
曲の後半では、「こういう演出をしたい」とはっきりしていたため、それに合わせた曲作りをした。主人公が泉の精に抱きしめられ、ゾワゾワとする感覚を駆け上がる不気味なパッセージを使って表し、また泉の精が主人公に花を渡すシーンでは、まるで一筋の光が降りて来たかのような明るさを、ヴァイオリンの高音の保続とハープのグリッサンド、劇中で最初となる調性の使用などにより表現した。
1度没案を書いていたこともあり、制作の終わりの方に書いた曲だが、完成度の高い曲になった。また、「動きとのアンサンブル」がとても上手くいった部分でもあり、バレエ的要素の多い曲だ。
M05 Menuet「花」(作曲:佐藤匠)
初めて主人公が声を発し、歌う曲だ。何度も歌詞と編曲の変更があり、最初に書き上げたものとはかなり異なる形で本番を迎えた。
曲の前半は旋法を多用し調性が非常に不安定であり、主人公の心を表している。後半になると、優しい響きのするF durに落ち着き、サビになるとこの劇中に何度も使われる「花のモチーフ」の元となるフレーズが奏される。その他にも様々な部分が他の曲で引用されている。
作曲は2019年3月下旬ーすなわち丁度1年前ーに行われ、インスピレーションを広げこの劇のイメージを作り上げた核と言っても過言ではないだろう。
初めて歌曲を書くことになり探り探りではあったが、合唱曲などを幾つか分析をし勉強した。また、マヤの声域や声の特徴を私がよく知っていたのもあり、マヤの歌のいいところをふんだんに生かせたのではないかと考えている。
M06(作曲:佐藤匠)
セリフシーンであるため音楽自体の内容は薄く、次のM07の調へ繋げることを意識して作曲した。セリフや登場人物の気持ちによって音楽のテンションが変化するように、曲の後半はDominant上での対位法的な上行音型を用いた。
泉の精が「私もいるよ!」と主人公に語り掛け、主人公がはっと気づくシーンで弦のトレモロのfpに切り替わるシーンは作った自分でも気に入っている。
M07「夢」(作曲:佐藤匠)
主人公と泉の精のデュエットソング。
↑歌詞を練っていたころのノートこの曲は非常に難航した曲の1つだ。
歌詞の原案をマヤから貰ったのは5月頃であったが、自由詩であったためフレーズづくりが難しく、私が再構成をした。
歌詞作りのポイントとなったのは、2人の言う「夢」について、異なる点と共通する点をはっきりさせることであった。「夢」という言葉にも"寝るとみる夢"と"願望の方の夢"とで2つの意味を持たせ対比させた。
作曲についてはマヤとヒナの音域の差を生かすため、マヤのソロではC dur。ヒナのソロではEs dur。2人のDuoではFis durで2声部書くことにした。
M05に比べ「言葉」に対して敏感になり、例えば「夢」と歌う部分は下降音型にならぬように、「これから」という言葉に対しては、前向きに聞こえるよう上行音型を使用した。また、Aメロの「C~D~G」という音列はこの後に出てくるM12で主題として使用している。
この曲で難しかったのはやはり2声部作るところだろう。それぞれがメロディックでならないと成立しないが、連続が出来てしまったり、中々上手くいかなかった。また、ドミナントで2声のハーモニーを3度にするか4度にするかなど、響きについてかなり考えさせられた。
劇の半分で今日はここまで。
それでは。
音楽劇「鏡の森」 公演記録とあらすじ
5日目。サボりたい欲求に苛まれている。
今日は国立音楽大学の卒業式だったそうだ。電子オルガン科からも2名本日卒業された。私たちが入学した当時丁寧に大学のこと・専攻のことを教えてくださった先輩方だ。2年間、あっという間に過ぎ去ってしまった。これからもお元気で、輝く未来がやってきますように。
4年生の皆様、ご卒業おめでとうございます。
今日は作業工程④の音楽計画について書こうと思っていたのだが、いざ文字にまとめてみると、作曲の部分と混じってしまい、1回分では書ききれないと思ったため、この劇のストーリーについて先に説明をすることにした。
はじめに
はじめに言っておかなければならないことがある。芸術祭の本番当日、バタバタしていたのもあり、記録用のビデオカメラをちゃんと確認せずに本番を迎えてしまった。
その結果、電池切れか劇の途中で録画が止まってしまっていたのだ。
今回紹介もかねて動画を載せようと思うのだが、途中で録画が切れてしまう。了承願いたい。
正直途中で録画が切れてしまうとは思いもよらず、私としても非常に悲しい。大反省。
登場人物
主人公
高校生の女の子。思春期真っ只中の彼女は、日常をつまらないと思っており、スマホにすがっている。でも本当は...胸に秘めた思いがあるのだ。自分の居場所が分からず彷徨い「変わりたい」と思っている。
因みに楽譜にはマヤと書かれている。私たちの悩みや思いを具現化した存在なのかもしれない。
泉の精
主人公の夢の世界=心の中にある泉に棲む妖精。
主人公が生まれた時から存在するのであろう。主人公の心の変化が泉の精の棲む世界の変化につながるので、主人公が心を閉ざし乾いてしまうと、もともと鮮やかで生き物たちがたくさん棲んでいた夢の世界も、乾き独りぼっちになってしまう。
そんな中、夢の世界で主人公と出会う...
音楽劇「鏡の森」Presented by Travelers
録画が切れてしまった後のあらすじ
探検を続けていくと気付くと泉の精がいなくなっていた。そして森の中に光輝く場所があることに気づく。
気になって歩み寄っていくとそこには沢山の光に包まれた泉の精がいた。そう、泉が、夢の世界が光と水に満たされ復活したのである。
そこにいる泉の精はなんとも神々しく、それはまさしく”妖精”の姿だった。
泉の精は歌いさらに光は強くなり、主人公の視界は次第に真っ白に失われてゆく。歌が遠ざかり、意識が遠くなっていくー
目が覚め、気づくとそこは自分の部屋。
外では鳥たちが鳴き、カーテンの隙間からは朝日が差し込んでいる。
何か夢を見ていた。とても大切で忘れてはいけない夢。
何か、とても大事にしたい時間を過ごしていたはずなのに、思い出すことが出来ない。
ふと机に目を向けると、そこには「花」が活けられていた。
綺麗...
家を飛び出し、今日を歩んでいく。その手は空気を切り、暖かい日差しを充分にあびて、かつて離せなかったスマホのことなど忘れて。
完
まとめ
映像の画質音質も悪く、色々と反省が多い。こうして振り返りをするつもりでいたから録画したのにこれではできないじゃないか!と当時の自分に怒りたい。
あらすじについては全編にわたって文字で書くか迷ったのだが、人によって見え方が変わるのも、この劇のいい部分かなと思ったので書かない選択肢を選んだ。
もし分からないという声があれば付け加えようと思う、
それでは。